地車見学

2001.08.12 四条畷市御机神社見学
お盆に入ろうかというある日曜日の午後、四条畷市御机神社を訪れた。四条畷神社から歩くこと10分程度、住宅街を抜けた所に御机神社があった。何故、この神社を訪れたかというと北河内型の名地車と呼ばれていた瀧の地車が解体され社になっていると聞いたからだ。さすがに地車があった、それも北河内型の地車だけあって境内に通じる道は階段と幅の広いスロープ状の道がついていた。

岸和田であれば名地車といえば地車会館入りかと騒がれるが、そこは、四条畷、名地車であろうが長年曳行がなかったことにより地車に対する愛着を持つものがいなくなれば、用のないものに価値はなく地区ではやっかいものになってしまった。また、小屋に入られ彫物が盗まれる(出人形2体、花戸口など)の事件もあったため、太鼓台にするとう話もあったが、太鼓台にしても若い衆がおらず担ぐこともできないので社化の方向で話が一致し、本年6月頃より、実行に移ったという話のてん末である。
さて、この瀧地車で作った社、大屋根を銅版で葺き、大屋根、小屋根の懸魚及び車板が前後に付き車板下の虹梁の下に獅噛みが取り付けられている。側面は、大屋根の枡合の麒麟がついており、一枚屋根地車の木鼻より上が社の上に乗っているような形態になっている。

この社は現在害虫除けのネットが彫物の周りに張り巡らされており写真撮影は今後一切不可能ということがさらに残念さに拍車をかけるものとなっている。
しかし、土呂板4枚と小屋根の枡合一面が御机神社社殿に掛けられており、そこにはネットが掛かっていないので見学に行かれる方はそこをお忘れなく。ちなみに土呂板は、尼の珠取り、枡合は獅子です。

残りの彫り物はと思われる方もいらっしゃるかと思うが、小生も気になり確認したところもう一方の枡合、間仕切り、小屋根獅噛、脇障子などは、神社のものを個人で持つことはという考えから廃棄されたそうです。

(文書中の社になった経緯などは大東市住のN氏よりご教授願ったことを記載しています。)

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